• なっとうじんじゃ

    茨城県水戸市に

    納豆神社を作ってます

  • プロジェクトに対する想い

    新型コロナが流行り始めた当初、茨城に感染者がいなかった時期がありました。

    SNSで納豆が有効なのではという噂が流れ、一時期スーパーから納豆が消えました。

    それ程、茨城(水戸)=納豆というブランドが出来上がっていると感じました。

     

    水戸に来る(来水と水戸の人は言います)観光客の皆さんが、「水戸で納豆食べるぞ!」と思う方が多いと聞きます。

    しかし、市内歩いても特徴的な納豆を使った名物がなく、納豆を使った料理を出すお店も多くありません。

     

    毎年、水戸商工会議所さんが旗振り役となり、納豆消費量全国1位を目指したり、納豆レシピを考えたりしてます。

    3月10日の水戸の日には、納豆早食い大会が開催されるなど、様々な納豆に関する施策が行われてますが

    市内の子ども達は、なぜ納豆が有名なのか知らない子が多く、食育や歴史も含めて伝えていかなければならないと感じました。

     

    子ども達に納豆に関する歴史や文化を伝えていく方法の一つに「お祭り」があると思います。

    納豆神社を作ることで、子ども達や地元の皆様が楽しめるお祭りをする。

    また、勝負の神様として茨城にあるプロスポーツ(ロボッツさん、ホーリーホックさん、アストロプラネッツさんなど)の

    観戦をする際にホーム、アウェーのサポーターが参拝し、地域の活性にもつながる。

    また人生の勝負事や受験などを控えた人たちの背中を押せる場所になる。

    そんな未来を創造しております。

     

    このプロジェクトを通して、地域がより元気になることを目指したいと思います。

    様々なハードルがありますが、皆様のお知恵やご協力を頂きながら、一歩ずつ進んで参りたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

     

                                                     

  • 現状の課題

    大きく2つあります

    それは、立地と予算です

    立地の考察

    ①パワースポットに立地する

    水戸はいくつかパワースポットがあり、それらは特に風水を考慮した江戸時代に形作られたものが多いです。特に銀杏坂にある郵便局は面白い場所に立地してます。街中の賑わいも考えるなら、交渉の余地がある気がします。

     

    ②納豆工場が多い、下市地区に立地する

    株式会社笹沼五郎商店さん(天狗納豆総本家)と天狗納豆株式会社さん(水戸元祖 天狗納豆)、だるま納豆さん、水戸納豆さんの4社が下市地区とそのすぐ近くにあり、子ども達に伝えていくにも、ストーリー的にも適切な場所かもしれません。

     

    ③今ある神社さんの敷地内に設置する

    一番現実的でありますが、理解のある氏子さん、地元の皆様のご協力が

    必要です。

    予算の考察

    クラウドファンディング(以下クラファン)は現状行う考えはありません。

    クラファンが流行り始めた頃、

    東京でコミュニティを作るという企画に出資しましたが

    成立したのにも関わらず、いつになっても返礼が行われません。

    水戸にあった納豆に関するお店でクラファンに関するトラブルも

    あったことをお聞きしたのと

    クラファンに取られる金額割合が大きいのもあり

    今はメリットを感じないからです。

     

    広告という利用面もあるかもしれませんが、

    このプロジェクトでは潤沢な予算は考えず

    必要最低限でまず動くことが大切だと思ってます。

     

    なにより新型コロナの影響で、クラファンの利用者が増える中で

    私達は不要ではないですが、不急のプロジェクトであり

    まずは、飲食店や医療従事者の方への支援が大切だと思います。

    予算確保については、水戸にいらっしゃる旦那衆の方、

    理解のある企業様をメインに出資を募る方法、

    イベントを開催し、地域の皆様に認められながら

    じっくり資金を自ら稼ぐ方法などを検討しております。

    神社建設には、地元の会社、地元の資材で作りたいです。

    納豆と水戸の関係性

    茨城県はもともと、農家などで納豆づくりが盛んなところでした。
    しかし、水戸納豆の名前が知られるようになったのは意外に新しく、明治になってから。

    かつて納豆が江戸に出回っていたことを本で知った水戸の笹沼清左右衛門という人が、納豆を水戸の名物にしようと製造に乗り出したのがきっかけでした。
    しかし、清左右衛門の納豆作りは何度も失敗を重ねました。それが世に出るようになったのは、明治20年代に鉄道が敷設されてから。
     

    最初は水戸駅前の広場で売られていましたが、やがてホームでおみやげとして売られるようになると、汽車の窓から奪い合うほどの人気が出たということです。

    茨城県出身の農学者桜井武雄氏によると、茨城県は専業農家の比率は60%と全国平均35%と比べて非常に高く、耕地面積が平均1~2町歩という中監農家の率が高く、農産物では陸稲、サツマイモ、家畜はトリ、ブタが全国1、2位など農本主義が徹底していたことも「水戸納豆」を有名とした下地となっていると分析されています。

     

    索引:納豆百科事典より

    日本に納豆神社はあるのか?

    沼館八幡神社(秋田県横手市雄物川町沼館字沼館25)が通称「納豆神社」と言われているそうです。納豆発祥地とのこと。

    以下:横手経済新聞より転載(2016.9.12)

    平安時代後期の「後三年合戦」で活躍した源義家を祭り、室町時代に建立された同神社。「義家が同地で戦ったときに背走する馬の背で納豆が偶然生まれた」という伝承も残り、地元では「納豆八幡」と親しまれている。

     

    文献やインターネットで探しましたが、「納豆神社」という正式なものはなさそうです。引き続き調査しておりますが、このHPをご覧の方でご存じの方がいらっしゃいましたら、ご連絡をお待ちしております。

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    お知恵がありましたら、是非ご連絡ください!

    皆様と一緒に創って参ります